気仙沼まちづくり支援センター

トピックス

「京都府立大学 生命環境科学研究科」の皆さんが実施している、東日本大震災被災地における遺構伝承施設視察調査のうち、気仙沼市内の施設について説明をさせていただきました。

 気仙沼地域は、他の三陸沿岸部同様に度重なる津波による被害を受けています。明治以降に、特に大きな津波被害をもたらしたものだけでも、1896年に発生した「明治三陸地震」、1933年の「昭和三陸地震」、1960年「チリ地震」が原因で発生した津波があげられます。津波の常襲地といっても過言ではないでしょう。
 だからこそ、その教訓を今~未来に伝えるために、口伝や書物だけでなく、沿岸各所に津波にまつわる石碑等の伝承物が設置されてきました。

 東日本大震災においても、さまざまな形の伝承する“もの”ができました。
今回は、その中から「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」、「気仙沼市復興祈念公園」、「東日本大震災杉ノ下遺族会慰霊碑」の調査に同行し、その選定の経緯等について説明しました。

〈“もの”から伝わること〉
 災害を伝承する“もの”は、場所や施設によって、伝わるものは多様であり、「実際に見て感じとる」ものと、「刻まれた文字から得る」。ものにより伝わり方に差異はありますが、どのような理由で、なぜそこに存在しているのか、ひとつひとつの“もの”に込められた意味に想いを馳せ、自分事として置き換えてみることが命を守ることにつながると考えます。

 気仙沼まちづくり支援センターでは、調査研究や各種視察のコーディネートを行っています。
 お気軽にお問い合わせください。

 2022年11月5日(土)に小高に行ってきました。
 今回は、知人の美術作家さんの展覧会観覧がその目的です。

 ご存じのように、福島県では東日本大震災を原因とした福島第1原発事故により、多くの地域住民に避難指示が出されていましたが、小高区では2016年から大部分の地域で避難解除となりました。
 そんな中、芸術で地域を盛り上げようと行われているのが「オダカート(ODAKART):小高+アート」です。いわき短大名誉教授の吉津恭子氏が代表、小高に移り住んでいる美術作家の首藤晃氏がアートディレクターを務めて倉庫を改装した建物で美術展が開催されているのです。
 首藤氏は、気仙沼の「リアスアーク美術館」が、東北・北海道在住若手作家を紹介するシリーズ企画として行っている〈N.E.Blood21〉で創成期に取り上げられたこともある美術作家でもあり、小高を拠点に制作活動と共に芸術文化の発信に尽力なさっています。
 今回の展覧会では、首藤氏と同じく〈N.E.Blood21〉でも取り上げられた「木戸永二氏」の個展(~2022/11/12まで)がおこなわれています。優れた構成で披露される素晴らしい作品の数々を無料で観覧することができます。

 近隣には、吉津氏がオーナー、首藤氏がディレクターとなりオープンした「アートショップ小高」もあり、伝統工芸品から現代アートまで幅広い作品を手に入れることもできます。

 地域内の交流を“芸術文化”を通じて広げ、日々の生活に豊かさをもたらす取り組み=“まちづくり”のひとつの好例としてご紹介させていただきました。

 是非足をお運びください。

 

「木戸永二 絵画展 Mede in memory」 オダカ―ト 現代の作家シリーズvol.1
 会場:小高アートギャラリー 福島県南相馬市小高区南町1丁目41
 会期:2022年10月30日(土)~11月12日(土)  ※水曜休
 時間:10時~18時

「アートショップ小高」
 1階=ショップ/2階=ギャラリー
 住所   :福島県南相馬市小高区岡田字北ノ内5―2
 営業日時:金、土、日曜日の10時~午後6時まで

【小高アートギャラリー】

 2011年3月11日の東日本大震災で発生した大津波による被害。そのありさまを、ほぼ手付かずの状態で見ることができる気仙沼市の震災遺構【旧気仙沼向洋高校】は、2019年3月から「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」として開館・公開(遺構観覧は有料)され、今後も起こり得る災害への教訓を今、 そして未来に向けて発信している施設のひとつです。
 現在、11月5日に制定されている世界津波の日に合わせ、2022年11月1日(火)~6日(日)まで、特別イベントが開催されています。
その中のひとつに、当センター代表理事が関わっている企画がありますのでご紹介いたします。

■パネル展示「東日本大震災における気仙沼市の仮設住宅」 ※観覧無料
・日時 11月1日(火)~6日(日)9:30~16:00
・場所 体験交流ホールB・エントランス
※11月3日(木・祝)にパネルの解説員を配置します。
(時間:10:00~12:00 13:00~14:30)

 津波で住居を失った方は、親戚縁者宅に身を寄せたり、避難生活をしていたり、民間賃貸住宅を見つけたり(※注)、被害を受けた自宅を修繕したりしながら避難生活を送りました。その中に、災害救助法で被災者の保護を目的として定められている「応急仮設住宅」の整備がありました。
 気仙沼市で整備された応急仮設住宅は93団地(グループホーム3団地含む)3,504戸でした。

 今回の企画では、応急仮設住宅で起きていたことの概要をパネルにまとめ展示しています。
避難生活の一部を知ることのできる機会となっておりますので、ぜひ足をお運びください。

 なお、期間中のイベント詳細につきましては、当HPリンク内「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館バナーよりご確認ください。

避難生活の様子につきましては、今後も継続して発信する予定です。

(※注):上記の民間賃貸住宅についても、2011年5月に、行政が借り上げる形にした仮設住宅(民間賃貸借上応急仮設住宅)としてみなされています(“みなし仮設”と呼ばれました)。

令和4年9月29日(木)より、当センター来客用駐車場が変更となりました。
これまでの場所から国道45号バイパス寄りの、民家とホームセンターの間にある駐車場内の6番が駐車スペースとなります。
皆様には、ご迷惑をおかけいたしますが、お間違えのないようよろしくお願い申し上げます。

2022.9.29~新駐車場案内

 

 東日本大震災後11年が過ぎ、被災地は回復したと思う方も多いことでしょう。
確かに、地域には真新しい住居や施設が立ち並び、被災直後には想像もつかなかったほどきれいな街並みとなった一方で、“目に見えない”課題も存在しています。
 今回は、区画整理事業が行われた地区を中心に、各地区の被害状況と復旧の過程で行われてきた “まちづくり”の取組みと、一見しただけではわかりにくくなった現在の課題についてお話しさせていただきました。

 被災で移転を余儀なくされた皆さんは、震災前に住んでいた地域と同一の場所で再建できているとは限りません。
 なぜなら、津波で大きな被害を受けた浸水域では、自治体ごとの基準で「災害危険区域」が設定され、その指定を受けた地域では、安全面を考慮して建築制限がかけられ基本的に住居建築が不可となりったことから、震災前まで住んでいた場所に戻ることができなくなったのです。(ただし、「区画整理事業」対象地区では、地盤のかさ上げ等が行われて危険区域から外れたことから、震災前に住んでいた地域内に再建する土地が整備されました。)
 再建方法のひとつである「防災集団移転事業(5世帯以上で安全な場所に移転再建する制度)」では、多くの場合、震災前に同じ地域に住んでいた方々が集まり、以前の生活場所に近い地域の高台に土地を確保して移転しています。新たに建築された災害公営住宅では、場所によって抽選で住居が決定することもあったことから、震災前とは異なる地域で生活する場合が少なからず生じています。
 いずれの場合でも、〈被災→避難所→応急仮設住宅等の仮住居→再建〉と、復旧と共に激変する住環境に順応するために、精神的にも肉体的にも大きな負担を抱えることとなってしまっていること等をお伝えしました。
 このようなお話に、皆さん非常に熱心に耳を傾けてくださり、また、寄せられる鋭い質問やご指摘から気付かされることも多く、今後の私たちの活動について改めて考えさせられる機会となりました。
早稲田大学の皆様、気仙沼に来ていただき有難うございました。

当センターでは、現地案内等のコーディネート事業も行っています。
被災後のまちづくりについて興味がある方は、是非、当センターまでお問い合わせください。