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東日本大震災の痕跡
2023年4月4日
東日本大震災発災から12年が過ぎました。
海岸線には防潮堤が整備され、浸水した土地の多くはかさ上げすることで整備が進みました。沿岸部では、震災前を思い出すことのできる景色は少なくなりました。
津波の被害を実際に伺い知ることのできるものは限られています。
階上地区にある公的遺構の「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」。
(2013 年 11 月に復興庁が発表した方針、「震災遺構の保存に必要な初期費用について、1 市町村 1 カ所に限って復興交付金の支援対象とする(維持管理費は対象外)」を受け、気仙沼市では、旧気仙沼向洋高校校舎を震災遺構に決定したもの。)
伝承館近くのお伊勢浜海水浴場に残る地域伝承施設「旧杉の下防潮水門」。
(林野庁が施工するお伊勢浜海岸治山工事(防潮堤)に 合わせて,宮城県が新たに防潮堤部に樋管を設置し,被災した杉ノ下防潮水門は撤去する予定であった。 しかし、地域から地区内に点在する震災の爪痕の1つである杉ノ下防潮水門をそのまま存置し,震災遺構である旧気仙沼向洋高校と連携させることで,階上地区における震災伝承機能の強化を図りたいとの要望から保存が決定したもの。)
内ノ脇地区には、民間遺構の「命のらせん階段」があります。
遺構以外で、2023年3月現在で残存している震災の痕跡が残る、「松岩漁港」の様子を写真でご紹介いたします。
※ 「松岩漁港」は稼働している港湾施設です。訪問する際は、漁師さんたちの邪魔にならないように、くれぐれもお気を付けください。
全景 ↓
東日本大震災前の堤防(手前:T.P.3.12m)と、震災後に整備された堤防(奥:T.P.7.2m)↓
※T.P.とは、TokyoPeilの略で東京湾平均海面を±0とした標高の基準のこと。
津波で倒れたと思われる看板 ↓
陸閘と手動式防潮扉の接続部・レール跡 ↓
そこにあったはずの日常の景色は、思い出せない過去のものとなりました。
記憶は時と共に薄れ風景は変容しますが、積み重ねられてきた歴史文化があるということを喚起する痕跡と言えるかもしれません。