気仙沼まちづくり支援センター

設立経緯

2011年3月11日14時46分、東日本大震災。
目の前に広がる光景は、今でも脳裏に焼き付いて離れません。生まれ育ち住み慣れた地域が一変した中で思い浮かんだことが「まちへの恩返し」をするという思いでした。それが活動の原点となっています。

2011年7月から、震災後に設立された組織の一員となりました。
災害支援のイロハもわからないままでしたが、今思えばそれが“市民活動”に足を踏み入れた瞬間でした。
そこで実施することは、気仙沼市の全応急仮設住宅団地内の住民間交流支援を行うことでした。すべてが手探り状態でしたが、支援活動を行うNPO/NGOの皆さんとの接点が生まれ、活動調整の会合に参加するようになることで多くを学び、協力を得ることで何が必要なのかを少しずつ理解できるようになりました。
活動を重ねるうちに、仮住まい後の地域づくりに意識が向かい、組織を変えて防災集団移転等のまちづくり支援活動に従事しました。
多くを失い混乱が収まらない中であっても、再建のための複雑な制度を理解しなくてはならない上に、期限付きで決断を迫られる機会が次から次へと訪れました。津波で被災した皆さん(個人)の生活再建と津波浸水域の復旧(公共)を同時に考えなくてはならないという現実は、とてつもない負担となって降りかかりました。
多数の人に同時に物事を伝えることと、受け取る人ごとの理解度は必ずしも一致するとは限りません。お互いが立場の違いを超えて理解し合う努力をしなければ、誤解や齟齬が生じ軋轢となる原因となります。混乱期ならなおさらです。そのような事態を招かないために、冷静な立場で仲立ちをする存在が重要となります。その役割を担っていたのがNPOをはじめとする支援者の皆さんでした。異なる意見を取りまとめるために、当事者間では気付かないことを指摘しながら、過去の経験や他地域の事例を紹介することで選択肢を増やし、参加者すべての意見を引き出すことで、意見の集約が可能となった例がいくつも見られました。
 

その後、時間の経過に加え、各地で災害が頻発することで必然的に外部支援者は減少しましたが、まちの課題が解消されたわけではありません。
次の行動は、今までの経験を活かすために地域の仲介役となる新たな組織を立ち上げることでした。
そのようにして「一般社団法人気仙沼まちづくり支援センター」は設立されました。
震災は、地域が抱えるさまざまな課題をより明確にしました。解決するためには、市民や団体(NPO、地縁組織等)の主体的な活動が重要となります。
そのために、わたしたちはさまざまな立場の方々の“あいだ”に立ち、互いの想いを理解する手助けをすることで、それぞれの資源(人材、資金、情報など)をつなぎます。
まちづくりの主役である皆さんが活躍する舞台を支え、それぞれのまちへの想いが実現するように、ともに考えながらその活動を支援してまいります。